お盆休みながら台風が来るとのことなので、なにも予定を立てず今年は引きこもり盆休み。
これを機にプチ大掃除をしようと思いまして、押し入れをあさっていたらこれ。
懐かしいなあ。まだあったっけか。
せっかくだから久々に読もうっと。
大掃除あるある「見つけた古本を読み耽って大掃除中断」をすることにしました。
懐かしマンガ「動物のお医者さん」を振り返る
1987年から1993年まで白泉社の「花とゆめ」という少女漫画雑誌に連載されていた抱腹絶倒?の獣医の卵とその動物たちを描いたアニマルドクトルコメディー。
通常盤の花とゆめコミックスは全12巻、その後白泉社文庫として全8巻(自分が所有しているのはコレ)、愛蔵版が全6巻と今でも作品に触れることができる息の長い販売をされています。
電子書籍でも読めるサイトは多いです。
それだけこの作品が名作であり、多くのマンガ読みに愛され続けているということの証。
実際前世紀の古い少女漫画に関わらず、今読み直しても面白いです。「男性が読んでも面白い少女漫画」の一つに必ず名前が上がるのも頷けます。
確か自分の場合も昔姉がまだ同居してた頃の学生時代に買ったか借りたものを、
「これ、面白いから読んでみ」
と渡されて借読みしたのが最初でした。今も他の漫画はたまに読みますが基本的に青年漫画だし、気軽な電子書籍ばかりですが、
なんでだか紙本持ってました。大掃除する度に出てくる。
90年代のシベリアンハスキーブームの火付け役となったチョビ。
かわいい。いややっぱりちょっとこわい。
リアルタイムの獣医学生を描いた、古さを感じさせない学生漫画
本作の主人公西根公輝(通称ハムテル)はH大学近くの高校に通う高校3年生。
いつものように親友の二階堂と一緒に近道である大学構内を通って帰宅途中、シベリアンハスキーの子犬と(のちのチョビ)学生を追い使って逃げ出した子犬の大捜索をしていた獣医学部教授の漆原(アフリカコスプレ親父)と運命的な?出会いをします。
短時間のやり取りでハムテルの素質を見抜いた漆原教授から、
「君は獣医になる」
と予言され、成り行きでその子犬の飼い主になることに。
本来なら動物に触れて感動的な体験等により獣医を目指すようになるところですが、チョビと名づけたその子犬(正確には友人の二階堂に名前を刷り込まれた)の病院代などのコスト面のところで自分で獣医になった方が経済的と判断し、H大に入学後、3年の学部選択の際に獣医学部を選ぶこととなります。
その後の大学3年生から6年生まで、次いで大学博士課程の2年間を連載とリアルタイムの6年の時間で描かれていきます。ここら辺が面白い。
この漫画、従来の動物もの、医療ものと一線を画してる要素がいくつかあって、その一つが獣医の卵の時間経過をリアリティ溢れる描写で描いたこと。
すでに有名な話ですがH大学獣医学部は北海道大学の獣医学部がモデルになっています。
当時の学部所属生たちは「あるある」と思うネタ満載で楽しく読んでいたという話をよくしていたそうですし、この漫画がきっかけで北海道大学の獣医学部の志望倍率が跳ね上がったという冗談みたいなエピソードもありました。
もちろん今はいろいろなシステムが変わっているでしょうし、そもそも80年代から90年代前半が舞台ですのでスマホはおろか携帯すら出てきません。そういう点で古さや違和感を感じることはややあるかも。
でも学生たちの、それも獣医志望という特殊技能を学ぶ若者たちの基本的な感性は変わらないでしょうし、動物たちのへんてこな習性なんてもっと不変です。
そういう点では今読んでも全く古さを感じない作品であると言えます。
魅力的なキャラ達で構成されるスリリングなミステリーコメディー
動物漫画の名作らしく登場する様々なアニマルたちは動物好きからだけでなく、さほど興味のない層(自分)からも魅力たっぷりに映ります。
西根家ファミリーの温厚なハスキー犬チョビ、姉御肌で、でも猫っぽい気まぐれなミケ、屋外の帝王凶暴ニワトリのヒヨちゃん、砂ネズミのおとうさんやおかあさん。
他の関わる動物も上げるときりがないくらいキャラが立った面々ばかり。
人間のキャラクターも負けてません。個性的で魅力的な人物がひしめいてます。
高校生のころから妙に老成したハムテル、ネズミ嫌いの二階堂、ハムテルのおばあさんで結構な勝手者のタカ、アフリカマニアの破壊王漆原教授、トロくて奇行の多い公衆衛生講座の先輩菱沼さんなど多数。
これらの無数のキャラクターたちの日常を、北海道の大学獣医学部を舞台に生き生きと紡ぎだされていくのが本作です。
お話も面白いです。淡々と進んでいくくせにミステリーテイストがふんだんに盛り込まれており、読み手をハラハラさせたり、時には痛快な気分にさせてくれます。
これもこの手の動物コメディーには珍しい要素の一つ。
動物の可愛さやキャラの個性でごり押しせず丁寧にお話が構成されています。
獣医学部や動物ものの珍事件、珍エピソードが原則一話完結で描かれますが、時間はどんどん過ぎているはずなのに一方で時間の流れが印象としてあまり感じられない。
読み返すたびにその印象が強くなっていきます。
自分だけがそう思っているのかもしれませんが、その原因が何なのかと考えてみました。
この漫画には基本的に「お別れ」がない
常に、出会い、出会い、出会い。
もしくは今まで存在していたけれども初めて紹介されるような人間や動物たちばかり。
漫画の都合上登場機会が少なくなるというキャラはいますが、基本明確な退場というものは描かれないのが特徴です。
例えば西根家最強生物にして庭の大ボスである雄鶏のヒヨちゃん。
この卵用種の白色レグホンは、喧嘩っ早く凶暴で自分のテリトリーに入ってくるものはたとえ飼い主であろうと容赦せず蹴りを入れてきます。
今でこそ西根家の庭を我が物顔でのし歩くこの暴れニワトリ、実はハムテルが小学生のころ露店で購入したかわいいヒヨコが成長したなれの果てですが(失礼)、
そう考えると原作終盤などはもう老齢もいいところのはず。
しかし最終回を迎えるときも元気に二階堂に飛び蹴りを食らわせていましたし、まだまだ人生全盛期です。読者も安心して最終話を読み終えることができました。
はい。
動物、医療を扱っているのに悲しいお別れが皆無の漫画です。
この手のジャンル特有のお涙頂戴物のエピソードがほとんど描かれない。「死」や「別れ」が無縁の珍しい作品。
コメディであろうと関係なく意外と描かれることは多いです。読み手の共感や感動を得られる最も手っ取り早い手法ですから。
しかし動物のお医者さんは終始淡々と、しかし獣医の卵として刺激的な毎日を明るく描いています。
おばあさんの若かりし頃に出てくる飼い犬や担当医とか、もしくは第一話で解剖室で解剖された動物の遺体を袋に入れて処理するシーンなど、死や寿命を感じさせる瞬間はわずかにあるもののハムテルの過ごす日常においては悲しい出来事は起こりません。
(もしくは起こってもエピソードして描かれない)
佐々木倫子先生の次の連載ヒット作「おたんこナース」は同じく医療を扱った楽しいコメディーですが、しばしば人の命の重さや死の尊厳が描かれている話があります。
でも今作「動物のお医者さん」ではそれについて触れないスタンスを貫いています。
懐かしいアルバムをめくるような優しい作品
人間よりも寿命の短い動物たちを取り扱ったテーマでお別れという儀式がまったく描かれないのはなぜなのか。
もちろん単純に作品の雰囲気にそぐわないので採用しなかった、とは思います。
これに加えてこれは自分の解釈ですが、この物語が西根公輝という主人公の学生時代の良い思い出だからなのではないでしょうか。
獣医を目指すきっかけになったチョビと漆原教授との出会いから、
博士課程に進んで開業医になろうと具体的な未来の方針を示したその日まで。
この作品はハムテルの学生時代のアルバムなんだと解釈できれば、納得がいきます。
だからネガティブなお話はなく、困惑やトラブルなどの苦労も笑い話として読者と共有出来ているのではないでしょうか。
少年時代に読んだときよりも、年を経てこうやって読み返すとなんとなくそう思います。
思い出は美しい。
家族や仲間たちや、動物たちとの楽しい時間を切り取って描かれた優しい漫画。
面白かった。とりあえず捨てないで取っておくか。
次の大掃除もまた同じことをしている気がします。
アルバムをめくるような懐かしい感覚を、多分一生捨てられないんだろうな。